こんにちは、歯科衛生士のYです。


読売新聞の記事です。

11日午後。自宅で揺れに襲われ、津波から逃れるため、避難所を目指して車を出そうとした。その直前、運送会社で運転手をしている夫、良成(よしなり)さん(33)から携帯に電話が入った。「大丈夫か」「もうつながらないかもしれない」。泣き叫ぶ子供2人を両腕に抱え、思うように話せない。間もなく通話が切れた。これが最後の会話になった。

 海に向かう形になるが、頑丈な小学校の校舎を目指した。20分もたったろうか。逃げる車で渋滞し、少しも進まない。「もうぶつかっても仕方ない」。意を決して対向車線にバックで車を出し、アクセルを思い切り踏んだ。眼前に津波が迫り、2台前の車が濁流にのまれた。助手席と後部座席には長女、里桜(りお)ちゃん(2)と次女、里愛(りあ)ちゃん(5か月)。2人を守ろうと必死で約50メートル後進し、何とか助かった。

 海から離れた避難所に行くことにし、その日は車中でガソリン節約のため暖房なしで夜を明かした。翌日から避難所で苦しい生活が待っていた。子供の服におしっこやよだれが付いても、乾くのを待つしかない。地震で哺乳瓶は全て割れ、避難所にあった哺乳瓶を他の家庭と共有した。ストレスで母乳が出ない。スポーツ飲料をお湯で薄めて与えても、里愛ちゃんはなかなか受け付けず、脱水症状になりかけた。お尻ふきがなくなり、里愛ちゃんのお尻はかぶれて血が出始めた。

 夫の悲報を受けたのは17日。気仙沼周辺で配送作業中に津波にのまれたらしいと、夫の上司から知らされた。18日、子供が眠ったのを見計らい、遺体安置所に向かった。目の前のひつぎの中で眠っているのは、間違いなく良成さんだった。涙があふれ出た。キスをしながら、「愛してるよ」とつぶやいた。遺体に何か着せてやろうと、倒壊を免れた自宅に戻り、会社から引き取った夫の荷物にふと目がいった。指輪が入っていた。以前、「たまには指輪とか欲しいけど、パパはプレゼントくれる人じゃないもんね」と、意地悪を言ったのを思い出した。

 避難生活が長期化し、子育てはますます大変になっている。この状態がいつまで続くか分からない。でも、指輪を残してくれた夫に約束した。「この子たちは私が責任を持って育てるから」(佐脇俊之)


この記事を読み、涙しました。



地震が起きてから1週間以上経ちましたね。



まだまだ問題は山積みですが・・・
皆様、気を落とさず明るい気持ちで頑張っていきましょう。


昨日のアンケート

・とても親切に治療していただきありがとうございました。
・ていねいに治療してくださいました。
・またお世話になります。
・大変満足しております。またお世話になることがあればお願いします。


嬉しいお言葉ありがとうございました。

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